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野津原今市の石畳

写真/竹内康訓

伝わる宿場風情

 今市の石畳は江戸時代の参勤交代路である。宿場は岡藩によって開かれ、同藩の本陣としては犬飼―鶴崎の大野川通船が出来るまで機能した。だが同時に、今市は肥後藩が通した熊本―鶴崎の肥後街道(熊本側では豊後街道)の道筋でもあった。

 さしずめ当時の中九州道路のインターとも言える。岡、肥後両藩は、その石畳に大名行列の歩を進めたが、それはまた庶民のための宿場町でもあり、有名無名の多くの旅人が宿り、休憩した。今も石畳と両側の街並みに当時の面影がかなり残され、宿場の風情を伝えてくれる。

 宿内の道幅は8メートル前後。上町と下町からなる一筋道で、中央部の幅2メートルに石畳が敷き詰められ、延長600メートルに及ぶ。特徴は道が途中で直角に二度曲がり、かぎの手になっていること。宿場の全体を見通せず、鉄砲の弾も通過しないなどの防備のための構えであるとともに、曲がり角には火除薮としての竹林が作られて防火に役立てた。

 往時、宿場の両端に警護のための門が置かれ、40を超える旅宿や店が軒を並べ、中央部には代官役所と御客屋があった。肥後藩主はここで休息し、岡藩による接待があった。 「宿場町見取図」の案内板には、それぞれの屋号や商売が記される。

 石畳も一時は危機にひんした。自動車の通行に不便だったからである。このため土をかぶせられてしまったが、住民の熱意はバイパスの建設となって実り、土が取り除かれ復活した。今は両側だけが舗装されている。

 はずれの小丘にある丸山神社は見逃せない。楼門は18世紀初めの建築で、二十四孝の人物などが彫られ、酒造りの過程を表した小さな彫刻群も面白い。

 秋には「石畳まつり」。伝統芸能やコンサートがあり、1万もの竹灯が連なって石畳を浮き上がらせる。

江戸時代の参勤交代路だった今市の石畳。