宿内の道幅は8メートル前後。上町と下町からなる一筋道で、中央部の幅2メートルに石畳が敷き詰められ、延長600メートルに及ぶ。特徴は道が途中で直角に二度曲がり、かぎの手になっていること。宿場の全体を見通せず、鉄砲の弾も通過しないなどの防備のための構えであるとともに、曲がり角には火除薮としての竹林が作られて防火に役立てた。
往時、宿場の両端に警護のための門が置かれ、40を超える旅宿や店が軒を並べ、中央部には代官役所と御客屋があった。肥後藩主はここで休息し、岡藩による接待があった。 「宿場町見取図」の案内板には、それぞれの屋号や商売が記される。
石畳も一時は危機にひんした。自動車の通行に不便だったからである。このため土をかぶせられてしまったが、住民の熱意はバイパスの建設となって実り、土が取り除かれ復活した。今は両側だけが舗装されている。
はずれの小丘にある丸山神社は見逃せない。楼門は18世紀初めの建築で、二十四孝の人物などが彫られ、酒造りの過程を表した小さな彫刻群も面白い。
秋には「石畳まつり」。伝統芸能やコンサートがあり、1万もの竹灯が連なって石畳を浮き上がらせる。