生きている文化財
大分県は「石の文化」を誇りうる屈指の地域である。全国の7、8割を占める磨崖仏はじめ、独特の国東塔などおびただしい石塔類、あるいは名人芸ともいえる石垣造りの技と美。だが、石橋、つまり眼鏡橋などとも呼ばれる石造アーチ橋の数が日本一というのは意外と知られていない。
「大分の石橋を研究する会」によると、県内に現存する石橋は約500。そして何と、そのうちの1割、60余橋が宇佐市院内町に現存するという。
院内町はお隣の安心院町が盆地なのに対し、深い峡谷の土地柄で、昔から「院内谷」と呼ばれてきた。その谷を形成し、多くの石橋を架けるのが駅館川の上流にあたる恵良川とその支流である。
石橋のたくさん架かるのは恵良川本流のほか院内川、高並川だが、その他の支流もほとんど残らず石橋を持っている。
有名なものは県指定の文化財となっている鳥居橋、御沓橋、町指定の荒瀬橋、富士見橋、西光寺橋、飯塚橋、分寺橋などだが、水雲橋なども忘れられない。
最も知られている鳥居橋は五つの連を持ち、橋長55メートル、橋幅4メートル余り。谷底から見上げる高さもかなりのもので、姿は美しい。「ローマの水道橋を思わせる」といわれ、貴婦人の姿とも評される。1916(大正5)年、松田新之助を石工として架けられた。
松田は近代の名工で、ほかに10余の橋を架けているが、江戸期の山村藤四郎はじめ、大正から昭和初期にかけて、院内谷では20余人の名工の名前が伝わっている。
御沓橋、富士見橋、分寺橋などは三連。その他の橋もそれぞれに風格を持つが、特筆されるのは60余橋のほとんどが今も渡られていること。まさに「生きている文化財」なのである。