絞り染めは、布をくくったり縫ったりしてしわを付け、それを染料に浸して模様を付ける染色の方法。昔から世界各地で行われた技法だが、素朴であってもさまざまにバリエーションを持ち、多彩な絞りの技を発達させたのは日本だけと言われる。
中でも大分地方は「豊後紫草」(おおいた遺産)などの染料に恵まれ、木綿の産地として卓越した絞りの技術を発達させ、中世から近世にかけ、「豊後絞り」の名声をほしいままにした。それが今、見事に復活した。
『豊後国志』には大分郡の名産として、高田郷の門田村(今の大分市鶴崎の高田)から出ると紹介されている。ここは鎌倉期から木綿の特産地で、領主・三浦氏の名前をとって「三浦木綿」と呼ばれていた。それを絞り染めした「三浦絞り」は、九州の海の玄関だった鶴崎港から全国に積み出された。一方、今の竹田市もまた木綿産地で、しかも染料となるアイの栽培が盛んで絞り染めが生まれ、大野川通船によって鶴崎に運ばれた。
こうして鶴崎からそれが伝わった場所の一つが名古屋。そこは東海道の交通の要地であり、諸国の物産が集散する場所。このような海陸の要衝を経て「豊後絞り」は全国版となり、多くの愛好者を得て、浮世絵にまで登場するようになった。
しかし、近代になると陰りが見え始める。職人技を駆使しての絞りは、化学染料を使った工場での大量生産の安価な布地に押され、明治期から次第に寂れ、技術を伝承する人も少なく、名前さえ忘れられてきた。
それを現代に復活させたのが安藤宏子さん(大分市出身、神奈川県藤沢市在住)=2010(平成22)年 大分合同新聞文化賞受賞。愛知の大学で教えていた際、絞り技法のなかに「豊後」と称する物があるのを知って研究一筋、ついに伝統を復活させた。大分に工房も生まれ、今や世界に知られる染色作家、研究者である。