写真/宮地泰彦
紫は高貴、神聖の色である。ローマ帝国では皇帝の着衣・礼服の色であり、キリストも死に臨んで紫衣をまとう。日本では聖徳太子が定めた冠位十二階の最上位の色が紫だった。
それはまた愛と恋の色でもあった。『万葉集』では紫野を舞台に、額田王に応えて大海人皇子が「紫の匂える妹」に「人妻わゆえに吾れ恋いめやも」と歌う。紫式部『源氏物語』では、光源氏の最愛の女性が「紫の上」。紫の匂う人は美女そのもの。
求愛の場となる紫野は紫色の染料となる紫草を栽培し、国営農場として野守によって管理されたほど。各地に設けられ、都へ運ばれたが、豊後国は紫草園でも全国に知られていた。『豊後国正税帳』では球珠(玖珠)郡と直入郡にあるほか、1984(昭和59)年に太宰府史跡から発掘された木簡には「進上豊後国海部郡真紫草」とあった。紫草園での種まき、収穫には豊後国の最高責任者が立ち会い、太宰府からも視察に来たという。
紫草はその根である紫根を乾燥して粉末状にし、湯に溶かして色素を抽出、染めた生地に灰汁による触染を繰り返して紫衣として完成させた。「紫は灰さすものぞ…」(万葉集)というわけである。
紫草は薬にも使われたが、近代の化学染料に押されたほか、環境の変化もあって衰退し、レッドデータブックの絶滅危惧種に指定された。今では「幻の花」とも言われるが、「それはならじ」と立ち上がったのが旧直入郡と竹田市の人たちである。
2000(平成12)年、奥豊後古代紫草蘇生研究会が行政と民間の協力で発足した。同市志土知はかつて紫土知とも書かれ、紫八幡社もあり、栽培環境に適し土質も良いことから中心地となり、研究・特産品開発から、竹田―太宰府―奈良の交流など、地域再開発の活動が試みられている。