古来、太陽は神そのものだった。人は太陽によって生きる。人類だけではない。生きとし生けるもの、さらには地球そのものが太陽によって生きている。太陽の子を日子、日女と呼ぶ。男と女の彦と姫である。時として邪悪の世界ともなる闇の夜を経て、朝の太陽が昇りくる姿は生命再起を感じさせた。とりわけ初日は「自ら燃えるものに影はない」のシンボルである。
目立つ岩石もまた信仰の対象となり、磐座として神の降臨する場所とされた。特に二つの岩が並び立つと、天と地、陽と陰の典型ともされ、夫婦岩などと呼ばれて夫婦円満、家内安全、天地安穏を示し、さらには恵比寿と大黒にもなぞらえられ、大漁、海上安全の祈りの対象ともなった。夫婦木などとともに、各地にあって地名ともなる。
太陽、岩、夫婦。見事にそろったのが豊後二見ケ浦。近くの中学校の名が東雲というのも良いではないか。さらに暁嵐の滝をはじめ、上浦海岸は「海の耶馬渓」ともいう景勝地である。