写真/竹内康訓
日田盆地(日田市)は九州のほぼど真ん中で、四方に道が通ずる。先史時代からの遺跡も多く、古くから栄えたが、近世、徳川幕府はその地の利を生かして、ここを天領(直轄領)として九州各地の天領の元締め、さらには諸藩の監視役として代官所・西国郡代役所を置いた。
代官が常駐した布政所は市街地の北部、月隈山のふもとにあった。それと花月川を隔てて南に続く豆田町では代官のお膝元として掛屋と呼ばれる豪商が活躍、「日田金」を扱って九州経済圏の中心地だった。今なお随所に往時の面影を残す街並みや商家があり、重要伝統的建造物群保存地区に指定され、市民も家屋の新築の際など、それと見合うデザインを心掛け、看板類にも往時を演出させる。
教育者・広瀬淡窓の生家が資料館となっているが、彼の弟・久兵衛は代官と組んで豊前豊後各地の開発に当たった掛屋の代表格。その他、掛屋は多かったが、2009(平成21)年に国の重要文化財に指定された家屋のある草野本家も製蝋を業とし、枡屋と号する郡代御用達の掛屋だった。
草野本家と聞けば、ひな人形を思い起こす人が多いはず。掛屋は財力を生かして豪華なひな人形を集めていたし、道具とともに持参した嫁もたくさん。今日、2、3月の間に、豆田町はじめ隈町など市内で「天領日田おひなまつり」が開かれる。
現在、桃の節句のころともなれば、杵築や中津など大分県内各地の旧城下町を中心に「ひなまつり」が妍を競い、さらに九州各地や全国にまつりの輪を広げているが、日田はその発祥地の一つと言っても良かろう。
ひなまつりの歴史は古い。平安時代に貴族の間で子女の遊びとして行われていたが、中世に節句の儀式と人形遊びが結びつき、近世に全国に広まったとか。日田は、その代表地である。