写真/竹内康訓
玖珠盆地の北縁に近く標高576メートルの角埋山がある。玖珠町森地区のシンボルともなる山。盆地周辺の山々に比べると低いが、姿はテーブル状の山(メサ)の頂上部が狭くなったビュートと呼ばれる地形でよく目立つ。その地勢を利用して古く山城が築かれた。城名は角牟礼城。攻めるに難く、歴史的にも玖珠の象徴と言えようか。
角埋、角牟礼ともにツノムレと読む。字面から、角を埋めたというような伝説も想像されるが、ムレは古い朝鮮語で山を意味する。大分県内には熊群山、花牟礼山など、ムレと呼ぶ山が多い。角は牛などの角の形をしているからだ。つまり角を立てたような山容である。
城には鎮西八郎為朝の築城伝説もあるが、それはともかく、古くから城があったことは確かである。13世紀の末ごろに一帯を領していた森氏についての記録が残ることから、そのころの築城ともみられるが、確実なところでは15世紀の文献に「くすつのむれのしろ」が出てくる。
以来、森氏の居城として代々受け継がれ、大友時代には戦乱のたびにさまざまな役割を果たした。その名が広く知られるようになったのは1586(天正14)年の薩摩・島津軍の豊後侵入の際。豊薩の戦いで豊後国内の城は多くが落城したが、角牟礼城は島津勢を寄せ付けず、岡城などとともに生き残った数少ない城となった。
城跡が注目されたのは、1993(平成5)年に穴太積み工法による長大な石垣が確認されたことから。大手門や櫓の跡も発掘され、織田・豊臣系統の城郭が成立してゆく過渡期の様相を知ることのできる城跡として重要視され、研究が進んでおり、国指定史跡となっている。ふもとは森藩・久留島氏の陣屋跡。日本童話祭の主会場。「つのむれ会」による山の自然と歴史を地域づくりに生かす活動もまた注目される。