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草地おどり

写真/竹内康訓

国際舞台でも脚光

 草地は豊後高田市の中心街から北、広瀬川や赤坂川をさかのぼった扇形の丘陵地に広がる農業地帯。鎌倉時代から草地 荘として知られたが、ここに伝わり育った盆踊り「草地おどり」は今や市域一円に 広がり、さらに大分県を代表する踊りになったばかりか、国際舞台にまで登場して脚光を浴びている。

 踊りが始まったのは享保のころと伝えられるから300年近い前のこと。当初、それは盆供養のひなびた踊りだったかもしれない。それをここまで成長させたところに、伝統を守り育て、さらに洗練していった民衆の知恵と力強さを感じる。 市を挙げての観光盆踊り大会は8月中旬、中央公園で開かれる。特設やぐらの周りを子どもたちの踊り隊、色とりどり の衣装も鮮やかな市民グループがいく重もの踊りの輪をつくり、熱気が高まってくる。

 しかし、これが終わりではない。そこにクライマックスが待っている。特設やぐらの中央舞台に太鼓、三味線、そして番傘を差して口説き手が上がり、草地おどり保存会から選び抜かれた娘さん十数人が舞台狭しと踊りまくる。

 踊りは4種。最初は「国は豊後の高田の ご城下…」の「レソ」。次いで「マッカセ」、 さらに「ヤンソレサ」と続く。初めは浴衣でゆったりしていた踊り子が、変化のたびにテンポを上げ、マッカセの途中で早変わり。短い法被にショートパンツとなり、最後の「六調子」はぴちぴちと活気に あふれ、まさに心意気と粋が踊りの身上である。

 昭和の初めに全国郷土舞踊大会で優勝し、戦後は大阪万博(1970年)出演からヨーロッパ各国を巡回するまでになっ た。

踊り本来の魅力もさることながら、舞台に上げることで演出を加え、洗練したからという。保存会の努力と市民の支援 があってのことだ。

市を挙げての観光盆踊り大会。