写真/石松健男
今熊野山胎蔵寺から鬼が築いたとの伝説を持つ乱積みの急な石段をしばらく登ると、突然、林が切れて明るい空間に出 る。目前の絶壁には巨大な不動明王像、 その右に大日如来像。じっとこちらを見下ろしてくる感じ。思わず粛然とした気持ちにもなろう。 ともかく大きい。不動が高さ約8メー トル、大日が同じく7メートルほど。それでも半身像なのである。国指定重要文化財・史跡。
かつてここを訪れた俳人・荻原井泉水は「ほほえめる岩あり怒る巌あり巌そのまま御仏にして」と詠んだ。「ほほえめる」 のは不動。本来なら怒りの形相であろうが、この明王は何とかすかなほほ笑みさえ浮かべる。それに対し「怒りの巌」が大日。厳しいとも言える表情である。
だが待てよ。これが大日如来なのだろうか。仏像の姿を定めた経典の「儀軌」によると、大日は宝冠をかぶるはずなのに、 この像の頭髪は釈迦や阿弥陀如来などと同様に縮れ毛の螺髪なのである。とすると、これは毘盧遮那仏、つまり大仏様なのではないか。 これが大日如来とされたのは、六郷満山の記録で古くから「大日岩屋」とされてきたことによるが、大日も大仏も仏としての性質は同じようなものであり、目くじらを立てるほどでもあるまい。六郷にはほかに謎も多い。この像の上に刻まれた種字曼荼羅の意味もいまだに解明されていないのだ。
二仏の造られたのは藤原時代の末ごろで、修験者集団の力があずかっていると 考えられる。紀州の熊野権現を奉ずる一団で、瀬戸内海を通じて半島に信仰が 入った。
今でも 10年に一度、六郷満山では「峰入り」の荒行がある。その際はここがスタート地点。不動明王の前で護摩をたき、修行者の白い行列が山に入る。それは昔も今も変わらない姿だ。