写真/石松健男
柞原の森は、生命のみなぎるところ。高さ20メートルにも達するイチイガシやタブノキなど高木の下には、その半分にもならないモチノキなど、さらに人の背丈をやや上回るアオキやヤブツバキなどの若木、地面近くにはランやシダ類。コケが広がるかと思えばキノコもある。緑あふれる森だ。
植物だけではない。ノウサギ、タヌキ、イノシシが歩き回り、いろいろな鳥の鳴き声が聞かれ、足元には多様な昆虫。落ち葉の下にもいれば、土の中にもいる。それらが助け合い、時には争い、子孫を育てては死んでいく。柞原の森は、それ自体が一つの大きな生命体にほかならない。
この常緑広葉樹林は西南日本の国土の原像。かつては大分県内はもちろん、広い範囲を覆っていた。ずいぶんと減っては来たが、各地にわずかずつ生き残っている。その典型が柞原の森である。
同じような森を南へたどれば宮崎県の綾町、鹿児島県の屋久島の森などがそうだし、さらに琉球弧を経て台湾から南洋の熱帯多雨林に至る。西へは中国・雲南の濃密な照葉樹林から、ネパール・ヒマラヤの南のふもとにまで通ずるだろう。
1000年も2000年も前からの森の姿が、柞原になぜ残ったか。それはここが「八幡様の森」だからである。柞原八幡宮は豊後で最大とされた神社。1200年近い歴史を持ち、その神域なのだ。宇佐八幡宮にまったくよく似た森が生きているのと同じように、人々の「入らずの森」となっていた。
あるいは、子供たちにとってはちょっぴり怖い森だったかもしれない。今、森では自然観察会なども開かれ、子供の歓声も聞かれる。自然の仕組みを学び、営みを知る「生きた教室」となった。
問題は、この貴重な森の姿を今後にどう残し伝えるかだ。それは人間の知恵と努力にかかっている。柞原の森を守ることは、地球の環境を守ることでもある。