写真/宮地泰彦
大分県内に神楽は多いが、おおよそ二つの系統があるとされる。執り物神楽と岩戸系神楽である。前者は面を付けず、ご幣や鈴、扇などを持って舞う比較的おとなしい神楽。後者は着面し、神話などを題材に勇壮なものが多い。また、それぞれに流派があり、庄内神楽は後者の出雲流に属すると言われる。
記録によると、庄内神楽は江戸末期から明治初期に農家が五穀豊穣を祈り、豊作に感謝して神社に奉納したことに始まる。
しかし日本の神楽そのものの歴史はもっと古く、かつては神事として神主が舞った。ただ、神主の数は限られている。そこで祭礼には幾つもの神社から複数の神職が一つの宮に集まって神楽を奉納し、祭礼としてのにぎわいを増したため、氏子にとっては楽しい娯楽ともなり、同時に、それは演劇的な要素を多く持つようになった。
それが「度を過ぎる」と藩によっては規制を加える動きも出て、明治になると政府が神主による神楽舞を禁止する。こうして、神楽は庶民によって舞われる里神楽として新生する。
庄内神楽も、おそらく同じような経過をたどっただろう。そして現在、由布市庄内町には12もの神楽座があり、座長会が取りまとめている。総合運動公園には神楽殿が設けられ、ほぼ毎月の定期公演には市内外から数百人の見物客が集まる。 演目は計34番という。ご存じの岩戸開き、大蛇退治、柴引きから、国司、太平楽などなど。勇壮でテンポの速いものが目立ち、老若男女を酔わせる。
伝統は若い世代にも着実に受け継がれている。由布高校は郷土芸能部で、時にはジャズとの共演も試み、小中学生も子供神楽で公演に参加する。大地にしっかりと根を下ろした神楽座とともに、太鼓や笛と舞のリズムは地域振興へと続く。