写真/石松健男
古代宇佐文化は「豊の国」に、最初に花開いた本格的な文化であり、大分県のみでなく、日本の歴史や文化にさまざまな影響を与え、その基層の一つともなるものである。
神域には上下宮のほか各種の摂社、寺院跡、森や池などがあるが、中心となる本殿は一、二、三の御殿。中央の第二殿に比売大神という三柱の女神を祭る。第一殿は八幡大神、第三殿が息長帯姫、つまり応神天皇と神功皇后が祭神。
現在の場所に鎮座したのは8世紀から9世紀初めというが、歴史は極めて古く、創始にまつわる謎は多い。だが、三女神が最も古く、朝鮮半島に由来するらしい。女神は宗像大社の神と同じく航海の神とも言われ、女神を応じた一族は渡来した人たち。後に皇室神である応神、神功を迎えたと考えられる。
神宮の歴史を語る紙幅はないが、特筆されるのは、それを奉ずる人たちが古代のハイテク集団だったこと。大陸の先進文化による土木、製鉄、製錬などの技術にたけ、北九州から中津、宇佐地方に入り、得意の土木技術で平野部を中心に田畑や水路網を開発し、金属を扱う技術では例えば東大寺の大仏造立に力を貸して朝廷と結びついた。
同時に彼らは情報の受信、処理能力にも優れていた。いち早く仏教を取り入れ、神仏習合をなし遂げ国東に六郷満山文化を開いたり、常に朝廷や時の政治勢力と結びつくことができたのも、情報先進性の現れである。
現在の国宝・本殿は江戸期の造営だが古式を受け継ぎ、朱塗りの柱が並ぶ壮麗なもの。特色は屋根。外院(礼殿)と内院(正殿)を切妻平入りにして前後に並列させ、連結部に大きな金の樋をかける。これが八幡造りと呼ばれるもの。境内からの礼拝ではなかなかうかがえないが、本欄の写真は高所からなので、特色が良く分かる。