写真/宮地泰彦
だるま(達磨)さんというと、ぎょろりとした目にひげ面を思い起こすが、それは「面壁9年」で知られる中国禅宗の祖・達磨大師の座禅姿に由来する張り子の起き上がり小法師。だが、それに「姫」が付くと、何とも優しい女性像の縁起物となる。
白く塗られた顔にはかわいらしい目や眉、つんと伸びた鼻におちょぼ口。朱色と黄色の重ね着の模様は松竹梅。頭頂部には金箔が貼られ、背面は白く抜いて宝珠が描かれる。全国的に見ても、女性のだるまは極めて珍しいのではなかろうか。
昭和初期まで、「投げ込み」と呼んで、正月元日の夜に各家に姫だるまを投げ込んでいたという。投げ込むのは青年団に入っていた若者たち。「オキャガリ、オキャガリ」の掛け声で、家々を回って投げ込んだ。オキャガリはもちろん起き上がり。転んでも立ち直れというわけで、投げ込まれた家では2日の朝、「福が入った」と喜び、一家の長が神棚に祭った。
しかし、1年たって新しい姫だるまが投げ込まれると、古いものは小正月のドンド焼きの火に投げ込まれる運命に。
その風習も、先の戦争中に消えてしまい、姫だるまそのものも作る人がいなくなった。それを惜しんで、昔のままに復活させたのが竹田市の後藤恒人さん(故人)で、今でも後藤家で作り続けている。ただ、当時は投げ込みの声から「起き上がり様」と呼ばれていたが、それでは単なるだるまさん。そこで、1956(昭和31)年に「姫だるま」の名前を付けたそうである。
今では大分の代表的な民芸品として買い求められ、ずっと飾り続けることが多い。大きさは7種類。最も大きいのは50センチほど。投げ込みの時代には、大きいものが欲しいと、若者に事前にお金を払っていた家もあったとか。