写真/竹内康訓
豊後富士・由布岳の北のふもと、東西およそ4キロにわたって標高600メートル前後の明るい広がりがある。それが塚原高原。日出生台、十文字原などの高原とともに、由布・鶴見山群が生んだ草の原の一つである。
ただ、日出生台や十文字原が自衛隊の演習場となっているのに対し、塚原高原には古くからの人の営みがあった。田畑が開かれ、牧場が設けられ、近年では観光開発も進められている。高速道の開通で、一帯の風景はよく知られるようになった。
名前のように、高原には塚が多い。古墳、あるいは水田開拓の際に出た石ころなどを積み上げたものか。九十九塚とまで言う。伝説によると、豊かに楽しく暮らしていた里に、鬼が現れて住みたいと願った。由布岳の神は一夜のうちに百基の塚を造ったら許そうと約束する。
鬼の力はすごかった。塚は見る見る築かれ、夜明け前に百に達しそうになる。困った神は一計を案じ、由布岳の頂上に立って手にした笠をバタバタとたたいて羽音をまね、鶏の鳴き声をあげた。鶏鳴は夜明けの証し。99まで築いた塚を残し、鬼はしおしおと立ち去った。
いわゆる九十九伝説と言われるものの一つである。以来、人々は安心して、再び平穏な暮らしを続け、高原はさらに開かれていったとか。
塚原の人々の暮らしの中に根付いているのが名物の「甘酒まつり」。鎮守・霧島神社の師走の祭礼の時に行われる。その年の実りを原料に宮座によって甘酒が醸され、まずは神前に供えたのち、樽を担いだ行列が座元の家へと繰り込む。慣例に沿って、神事とともに宴会。
翌日がクライマックス。座元がご婦人方を招待し、男衆の給仕で酒や甘酒が振る舞われ、オナゴシの気炎はいやがうえにも上がるという次第。