写真/石松健男
19世紀に入ったころのヨーロッパでは、正体不明の奇妙な化石が学者たちを悩ませていた。なかには「ノアの方舟」の際の大洪水で死んだ赤ん坊の頭骨だととなえる者も出る始末。
謎が解けたのは、日本に西洋医学を紹介したシーボルトが帰国にあたり、日本のオオサンショウウオを持ち帰ったことから。比較研究の結果、化石はヨーロッパ産のサンショウウオだと分かった。
オオサンショウウオの先祖は、約3億年前に水中から出て陸上での生活を始めた最初の脊椎動物の仲間だと言われる。その後の地球の激しい変化を生き抜き、今と同じような姿になったのは約7000万年前と考えられる。
これが「生きている化石」と呼ばれるゆえんであり、太古の生き方と性質を現在も残す。陸上生活に入っても、水から離れることは不可能。体を支えられないほどの足、大きなずうたいに似合わぬ小さな目などがそれ。
山奥の薄暗い清流に暮らし、水中の小動物を捕食する。8月末から9月初めが繁殖期。環境の変化には極めて弱い。その彼らの生息地が大分県内にあり、日本での南限地。国の特別天然記念物に指定される。宇佐市院内町の余川だ。 駅館川から石造アーチ橋群で知られた恵良川をさかのぼると、飯塚あたりで支流の余川が合流する。今度は余川をたどると「いんない温泉」があり、左岸から岡川が入る。岡川の上流が、オオサンショウウオ生息地の中心部である。
余川の本流域と岡川流域を余谷とも呼ぶ。滝貞や小平あたりでは棚田が広く見られ、日本の「棚田百選」の一つ。一帯には九つの集落があり、地域づくりも活発。全戸が参加して2000(平成12)年には「余谷21世紀委員会」が発足、農産物の生産・加工などの研究に精を出し、イベントも開催、大分大学とも交流する。当然、委員会が生息地の保護にも当たっている。