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田染荘

写真/石松健男

日本の農の原風景

 豊後高田市を流れる桂川の上流、国東半島の南西部に田染盆地がある。「仏の里・くにさき」のハイライトである富貴寺や真木大堂、熊野磨崖仏なども近い。 この盆地のなかに、田染荘があった。

かつてこの地で圃場整備が計画された。 それに対処するため、1981(昭和56)年から第一次の荘園村落遺跡分布調査が始められ、5年間に及んだ。

 目的は、整備の対象となる水田を含む 現在の集落などの景観そのものを、過去の人たちの営みが刻み込まれた歴史・文化遺産と位置づけ、学問的に明らかにすること。

 調査の結果は、大きな反響を呼んだ。 小崎集落を中心に、一帯は中世以来の農村風景を非常に良く今日に伝えていることが分かったのだ。「田染荘」が脚光を浴びた。

 一帯を本格的に荘園として開発したのは宇佐神宮だった。神宮の「本御荘十八箇所」と呼ばれる根本荘園の一つだが、一時は武士たちに領主権を奪われる。だが、蒙古襲来の際に「異国調伏」で神仏も貢献したとして、神宮に戻された。

 そのいきさつが研究できたのも、手を離れていた神領地を元の持ち主である神社に返す「神領興行法」に関する文献が多く残されていたからだ。

 ともあれ往時の景観が極めて良く残っていた。

 もちろん、景色だけではない。過去と 現在の人々の生活が凝縮され、集落や家 屋はじめ田畑や水利、採草地、さらに屋敷跡や城跡、信仰施設、墓地、道路などなど、自然と遺跡、そして人々とが有機的 に結びつき、一体となった歴史的環境が解明されつつある。

6月恒例の御田植祭もその一つ。「荘園 の里推進委員会」が生まれ、荘園領主と 称されるオーナーも県内外にたくさん。 朝日・夕日の岩屋など素晴らしい風景とともに、多くの文化財、800年の歴史 が息づく日本の農の原風景を訪れる人が多くなっている。

中世以来の農村風景を今日に伝えている田染荘を照らす朝日(写真上)と満月(写真下)。