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ホーランエンヤ

写真/竹内康訓

豊漁願いザブン

 川面を渡る寒風。それをはね返す勇壮な掛け声「ホーランエンヤ…」。川岸の観衆から祝儀が贈られると、船からしぶきを上げて厳寒の水に飛び込み、抜き手を切る締め込み姿の若者。それに応えて岸と船から沸き起こる拍手と歓声。豊後高田の新年は桂川からやって来る。

 祭りの名前であり、船を漕ぐ掛け声の「ホーランエンヤ」は「宝来栄弥」に起源する、あるいは「蓬莱へ、蓬莱へ」が変化したと言われている。大分県の選択無形民俗文化財。かつては元旦の行事とされていたが、現在は満潮の時間との関係で日程が決められている。

 大漁旗や万国旗、五色の紙をつけた笹 竹などで華やかに飾られた宝来船は、若者や囃子方、踊り子などを乗せ、河口の金毘羅社を出発、市街地中心部の若宮八幡社を目指し、上げ潮を利して漕ぎ上る。町を北西に向けて流れる桂川は、西高東低 の気圧配置の下で、冬風が町へ入って来る通り道でもあり、往路は追っ手の風に乗る。

 祭りは江戸時代中ごろから始められた。 当時、高田は島原藩(長崎県)の飛び地で あり、高田陣屋が置かれていた。島原や大阪の蔵屋敷に年貢米や物資を運ぶ回漕船の重要な港であり、その航海の無事を祈ったことに由来する。さらに豊前海での豊かな漁獲を願うものでもあった。同じような催しは、近くでは広島県の尾道市、島根県の松江市などでも行われる。

 豊後高田市といえば「昭和の町」が知られている。観光客もたくさんやって来る。 しかし、近年まで「ホーランエンヤ」の当日は町を挙げての祭りということで、ほとんどが店を閉じていた。だが、それではもったいない。次第に開店するところが多くなり、祭りの後は外来の人たちが町にあふれて新しい年の到来を寿ぐ。

大漁旗や万国旗で華やかに飾られた宝来船から、勇壮な掛け声とともに 厳寒の川に若者らが飛び込む。