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鶴崎踊

写真/石松健男

評判呼ぶ華麗さ

 大分県の夏の夜は踊りのシーズン。姫島盆踊りと同様に、盆の供養踊りに始まったものが多い。農漁村を主体に今でも供養の伝統は深く残り、県内では踊りの種類も何と100に近い。

 江戸時代の大分は小藩が分立し、地域間の交流も少なかったから、それぞれの土地に特色ある踊りが生まれたとも考えられよう。その中から、大分を代表し、海外公演をするような踊りが育った。例えば、優雅な扇子の動きに特徴を持つ津久見市の扇子踊り、テンポが速くリズミカルな豊後高田市の草地踊りなど。そして鶴崎踊である。

 鶴崎踊は、若いころかなりの乱暴者だった豊後国主・大友義鎮(後の宗麟)をなだめるため重臣が都の踊りを移入したとの伝説がある。その華麗さはまさに都ぶりを思わせ、昔から「豊後名物その名も高い」だった。

 踊りにはテンポが遅くて優雅な「猿丸太夫」と軽快な「左衛門」の対照的な二つがある。古いのは左衛門のようで、宗麟が引き合いに出されるほどの起源を持つとされ、猿丸太夫の方は江戸時代に伊勢参宮が盛んになり、土産に持ち帰った伊勢踊りが原型という。

 現在、主流となっているのは猿丸太夫。それも経済的に豊かで、芸術的な感性を持ち合わせた鶴崎の人たちの好みに合致したからだろう。

 鶴崎は江戸期に肥後藩五十四万石の港町。熊本との間に街道が通じ、参勤交代の船が発着するだけでなく、藩にとっては瀬戸内海・上方と結ぶ政治経済の拠点だった。隣接する府内藩は二万石程度しかなく、内海航路の船は大半が鶴崎に立ち寄った。

 当然、鶴崎の人たちは潤った。気位も高かった。豪華絢爛の衣装、洗練された踊りは、それに支えられた。「来ませ見せましょ」の自信もそこにある。そして現在、地道な努力で支え、発展させているのが「鶴崎おどり保存会」の皆さんだ。

テンポが遅くて優雅な 「猿丸太夫」 と軽快な 「左衛門」 の対照的な二つの踊りがある鶴崎踊。