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豊後森機関庫跡

写真/竹内康訓

SL時代の語り部

 久留米から約80キロ、大分から約75キロ、JR久大線のほぼ真ん中に豊後森駅(玖珠町)がある。この条件が、機関庫を置くための最大の要点となった。加えて、場所は玖珠盆地のど真ん中の平野。用地にも恵まれていた。
 蒸気機関車の時代、長く走るためには石炭と水の補給が欠かせない。このため始発・終着駅のほか、各地に機関庫と呼ばれる施設が設けられ、補給のほかに機関車の方向転換のためのターンテーブルのような転車台や整備工場などが併設された。
 しかしSLの時代は去り、機関庫は不要となった。このため多くが取り壊されたが、豊後森機関庫はそれを免れた。今や、全国でも数少ない鉄道遺産。
 機関庫が設けられたのは1934(昭和9)年、久大線の全線開通と同時である。その3年後には森と宝泉寺を結ぶ支線の宮原線もできて、森駅と機関庫は鉄道交通の拠点として大活躍した。戦後も、機関車25台を擁する大規模なものとなり、地方鉄道の栄光を支えていた。
 しかし70年、ディーゼル化が進み、ついに廃止。跡には、レールは撤去されているが転車台から放射状に延びる引き込み線と、それを受ける機関車13両分を格納する半径48メートルの扇形の車庫が、古代の円形劇場を思わせるように立つ。内部には、ばい煙排気用のダクトが残り、ガラス窓は割れたまま。後ろの外壁には、先の大戦の末期、米軍艦載機から機銃掃射された弾痕もそのまま残っている。数機が旋回しながら攻撃を加え、職員3人が犠牲となった。
 21世紀に入って、地元の有志による保存委員会が結成され、その後、町が敷地ともども買収した。国登録有形文化財となり、将来は鉄道記念公園として整備する計画が進められている。存在感抜群の機関庫の横を、リゾート特急「ゆふいんの森」号が走り抜ける。

戦後、機関車25台を擁し、地方鉄道の栄光を支えた。原形のまま残る機関庫としては、九州で唯一。