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的山荘

写真/宮地泰彦

大正初期の豪邸

 日出町の海を見下ろす暘谷城三の丸跡地に、金山王と呼ばれた成清博愛(1864〜1916年)が建てた別荘「的山荘」がある。建物は大正初期和風建築の粋を凝らし、庭園は借景として別府湾を泉水、高崎山を築山に見立てた豪勢なもの。
 博愛は現在の福岡県みやま市瀬高町の出身。先祖は大友氏の家臣だったともいわれる。政治家として自由民権運動などに関わるとともに炭鉱業も営んでいたが、のち江戸期に立石藩が直営していた馬上金山(杵築市山香町)を譲り受け、出水などの困難を乗り切り、有望な金鉱脈の開発に成功する。
 全盛期は1914〜1922(大正3〜11)年にかけて。豊かな産出量で月の収益40万円(現在の約12億円)をも記録し、日本屈指の金山に成長させた。
 その財力を生かし、1915(大正4)年に建てたのが的山荘。およそ25万円(同約8億円)を投じた。的山は漢詩をたしなんだ博愛の雅号だが、それには「ヤマをあてた」の意味も込められているとか。日出が選ばれたのは、金鉱石の積み出し港だったためという。
 1200平方メートルを超える敷地は塀に囲まれ、創建当時とほとんど変わらない切り妻、桟瓦ぶきの腕木門をくぐって玄関ロータリーへ。建坪800平方メートルを上回る日本家屋には至る所に職人技が生かされ、大広間には庭園からの海風がにおう。掲げられた「国本」の扁額は伊藤博文の書。
 博愛は金融、交通、慈善事業への助成などにも努めたが、ほどなく世を去り、子孫に譲られ邸宅を経て戦後の1964(昭和39)年から料亭・的山荘として特産「城下かれい」を広めた。 しかし、老朽化も進んで管理が大変となり、文化財として日出町が買い取った。2014(平成26)年には国の重要文化財に指定され、指定管理者による日本料理店として新しい歩みを始めた。

「国本」の扁額が掲げられた大広間。