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津久見の石灰鉱山

写真/竹内康訓

日本一の生産量

 国道217号を臼杵市からトンネルをくぐって津久見市に入ると、目の前に白い崖を見せる石灰石採掘現場が仰がれる。東九州自動車道の津久見インターチェンジは採掘で消えた山の跡地。前者は胡麻柄山、後者は水晶山。石灰岩の露出がゴマの茎の模様に見えたこと、石灰岩洞窟の石が水晶のように見えたことから名前が付いた山だった。

 胡麻柄山は姿こそ似ていないものの、津久見富士として市民に愛された。水晶山は皇登山とも呼ばれ、豊後水道を東征した神武天皇が立ち寄り、ミカンを献上されたとの伝説で親しまれた。しかし現在、共に採掘が進んでかつての面影はない。

 石灰岩は太平洋の中央部、赤道付近の海底で造られた。およそ3億年前、有孔虫類、サンゴ礁、石灰藻などの沈殿で生じ、プレートの移動によってアジア大陸に近づいた。太古の九州は二つの島だったと言われ、北の島の中核となるのが平尾台、南が同じく津久見のカルスト。海を隔て、山口の秋吉台、四国の南予カルストにも通ずる。

 津久見の石灰岩地層は内陸部へと続き、豊後大野市の奥にまで達する約20キロ。その山脈の南には狩生、小半、北には風連、稲積などの鍾乳洞を見せ、白山、白谷など「白」の付く地名をたくさん生んでいる。

 石灰岩が産物になったのは江戸時代。「臼杵小鑑」では1862(文久2)年に臼杵藩が石灰役所を置いたというが、焼石又平の事績や諸種の記録から、石灰焼きを始めたのはさらに1世紀近くさかのぼり得る。

 そして近代、セメント産業なども生まれ、企業による本格的な採掘が始められた。津久見の石灰岩は純度も高く、優良鉱山として現代では日本一の生産量を誇っている。推定埋蔵量が45億トンと言われるから、その首位は将来も続くだろう。

海沿いにはセメント産業の工場が並んでいる。