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大山の梅と日田の晩三吉

写真/石松健男

自慢のブランド

 日田市大山町の梅が実り、そろそろ収穫期を迎える。そして梨の花が日田市西部を中心に咲き誇っている。これもハウスの早いものが7月上旬には出荷される。
 大山町で「梅栗植えてハワイへ行こう」の掛け声とともにNPC運動、つまり「ニュウ・プラム・アンド・チェスナッツ(新梅栗)運動」が始まって半世紀足らずだが、「大山の梅」は今や全国を席巻するブランド。
 大山町は日田盆地に近いとはいえ山林が地域の大部分を占め、耕地はほんのわずか。日田が天領の町として栄えていた時も、「米経済」つまり水田農業だけには頼れず、さまざまな換金作物を育てたり、山菜類を採取して日田の街に運び、人々は生計を立てた。
 そして現代、米作りに限界が見え始めた時、地域はいち早く多様な作物をよみがえらせた。そのなかで重点的に取り上げたのが梅と栗。公共建築や道路建設に回すカネも節約して苗木を買い、植えた。
 この独自の振興策は農林業だけに終わらず、ユニークな地域づくり運動となり、全国の運動の先頭をきった。最近は作物がさらに多彩となり、生産者の顔が見える農産物販売のため、直販所の「木の花ガルテン」を設けたり、「ひびきの郷」など動きはますます活発。
 一方、日田梨の歴史は古い。百年近く前の明治末、関地区に長十郎、晩三吉が植えつけられたのが皮切りとされ、大正年間には西有田、高瀬、五和など広い範囲に梨団地が広がった。
 戦後は組合や研究組織を中心に集出荷場なども積極的に建設、かつて久留米方面に馬車で細々と運び出していたものが、大分県内から九州へと販路を延ばし、今世紀になってからは中国への輸出も始められた。
 品種も多様。幸水、二十世紀、豊水、新高などから晩三吉まで、「四季を通じて日田の梨」が消費者に届けられている。

畑一面に咲き誇る梨の花。