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大友氏遺跡と南蛮文化

写真/竹内康訓

繁栄の遺物続々

 16世紀後半のおよそ50年間、豊後府内は九州の中核都市だった。豊・筑・肥の前・ 後六カ国の政治と経済の中心地であり、 文化は栄え社会は富んでいた。加えて「南蛮文化」と呼ばれた異国の香り濃い特異な都市でもあり、海外にも知られていた。

 ポルトガルのイエズス会士ルイス・ティセラによる「日本図」1595(文禄4)年 は、初めて日本そのものを描いた地図とされているが、それには九州全体に「BUNGO」と大きく記し、東岸にFunay、Figi、Xanganoxeque、Usuqiが読み取れる。府内、日出、佐賀関、臼杵であろう。

 豊後府内は鎌倉期から戦国期にかけて大友氏の拠点都市だった。中でもその繁栄が頂点を極めたのは大友義鎮(宗麟)の時代。彼の銅像は新大分駅になった今も威厳をもって立ち、大分市遊歩公園には西洋演劇、音楽、外科手術、さらには牛乳に日本で初めて接した府内の人々の彫像が立ち並び、当時をしのばせる。

 だが、その栄華はキリシタン禁制から近世の小藩分立によって消し去られ、当時の繁栄を示す「物証」はほとんど伝えられていなかった。

 それが近年、その後に記憶で描かれたであろう「府内古図」がほぼ正確であることが分かり、さらに大友屋敷跡の発掘などによって、当時の遺物が続々と出土し始めた。

 町並みは今の顕徳町3丁目の大友館を中心に大分川左岸に南北に碁盤の目状に延び、家臣の住居地、商工業者の街、異国人の唐人町、さらに菩提寺の万寿寺、キリシタンのダイウス堂(デウス堂)などが立ち並ぶ。

 発掘品も多彩。貿易による陶磁器のほか、茶道具や遊具など生活をしのばせる 品々、信仰を物語るメダイ(メダル)やロザリオなどなど。それらは県の埋蔵文化財センターなどに収められ、市の遺跡体験学習館で勉強できる。

信仰を物語るメダイ(メダル)。