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城山

写真/竹内康訓

独歩思い出の地

 城山は佐伯市のシンボルであり、市民の心のよりどころである。国木田独歩は『豊後の国佐伯』の一節にこう書いている。

 「佐伯の春、先づ城山に来り、夏先づ城山に来り、秋又早く城山に来り、冬はうそ寒き風の音を先づ城山の林にきく也。城山寂たる時、佐伯寂たり。城山鳴る時、佐伯鳴る。佐伯は城山のものなればなり」と。

 城山(144メートル)に佐伯城(別名・鶴屋城、鶴ケ城)を築いたのは1601(慶長6)年に二万石で入封した毛利高政。最初は中世・佐伯氏の栂牟礼城に入ったが、そこは昔ながらの山城。新しい時代に領地を経営するには海に近いところが良いと、数年後に八幡山と呼ばれていた山を城地に選び、麓の塩屋村に城下町を構えることにした。
 当時の塩屋村は「塩屋千軒」と呼ばれた番匠川デルタの製塩地帯。城には栂牟礼の資材を流用、城下はデルタの複雑な流路を巧みに生かして防備の堀とし、栂牟礼の城下町をも移した。城は入部してほぼ10年で完成、鶴が羽を広げて飛ぶような縄張り。城下は少し遅れたが、武家屋敷町から町人町が街路の曲折にも工夫を凝らし、今の市街地南部一帯に整備された。

 現在、市民会館のある三の丸が後世の政庁で、県文化財の三の丸櫓門(黒門)が立つ。この大手から延びる山際通りが武士町の中核で、外れに毛利氏の菩提寺である養賢寺がある。また、独歩が下宿していた家や、矢野龍渓の生家跡も残り、「歴史と文学の道」と名付けられ、「日本の道百選」に選ばれた。

 独歩の佐伯滞在は若き日の1年間だったが、自然に親しみ人を観察し、文豪としての原点となった。彼がことさら愛したのが城山。名作『春の鳥』の舞台でもある。今も城構えの石垣や自然がよく残り、毎日の城山登山を心掛ける市民がまた多い。

番匠川のほとりから見た城山。