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三浦梅園旧宅

写真/石松健男

自力で哲学を開拓

 国東市安岐町の安岐川をさかのぼり、 支流の両子川の道に入ると前方に国東半 島の最高峰・両子山が見えてくる。江戸期の思想家・三浦梅園は二子山人とも号し、毎朝毎夕、この山を仰ぎ、この谷の水を飲んで「条理の哲学」を打ち立てた。

 1723(享保8)年 、当時の杵築藩領富永村冨清に生まれる。それがこの地。 川沿いから西の高台に足を運ぶと旧宅(国史跡)があり、彼の学問を解説し、使用した天球儀(国重文)などを保存する資料館が整備されている。近くには天体観測ドームを持ち、宿泊できる「梅園の里」もある。

 彼の哲学は極めて難解である。30数年をかけて書き上げた「玄語」「贅語」「敢語」 の著作、いわゆる「三語」に彼の条理学の 真骨頂があるのだが、ともすれば、その難しさの側面だけが強調されるきらいがないでもない。

 若い時に2人の師に学んだが、それも 2年足らず。ほかは長崎に二度ほど遊学し、さらに上方方面に一度の旅をしただ けであとは生涯、この地を動かずに思索した 。それもまた、彼の「孤高」のゆえと受け取られる。

 しかし今、大切なのは「人間性」を見ることではないだろうか。彼は子供のころから天地の成り立ちに大きな関心を寄せ ていたという。今も昔も子供たちは「なぜ?」「どうして?」をよく口にする。その疑問を一生持ち続けたのが梅園である。

 彼の学問は行動と実証に基づく。疑問 があればとことんまで解明しようと努力する。師に学べば懸命に励み、遊学すれば精力的に資料を集める。学問的な知識や 理論を実践に結びつけることの大切さを 日本で初めて示してくれたのではないか。

 ある人は、彼の存在意義を①自力での 哲学の開拓 ②強い論理的な思考 ③弁証 法的な論理の発見と活用とし、現代によみがえらせたいと述べる。梅園を再認識 しよう。

資料館にある天球儀。