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高島の自然と戦争遺跡

写真/竹内康訓

渦潮に囲まれて

 佐賀関半島の先端、関崎(地蔵崎とも 呼ぶ)の沖合3.5キロ、速吸の瀬戸 (豊予海峡)の渦潮に高島が浮かぶ。瀬戸内海国立公園のエリアにあり、景色もさることながら、約80ヘクタールの小さな島には自然がぎっしり。ビロウ自生地とウミネコ営巣地は大分県の天然記念物である。

 ビロウ樹は江戸期の『亀山随筆』『豊後国志』などにも記述があり、本数は少なくなっているが、自生の北限とされる。豊後水道に入る黒潮が運んだ。

 ウミネコは猫に似た鳴き声が名前の由来となったカモメ科の鳥で、3月ごろに飛来してコロニーをつくり、卵を産み、子を育てて7月から8月ごろに去って行く。 島の東端から、近接する白滝島、船間島、アシカバエに集中し、その数6000羽以上と言われ、結晶変岩の岩壁や磯が白く埋まるほど。こちらは営巣の南限とも言い、遊覧船が近づくと上空を飛遊する。

 四国・佐田岬との間の海峡は関門、鳴門両海峡とともに外洋と瀬戸内海を結ぶ。速吸の瀬戸と呼ばれるように潮流は 渦潮をつくって速く、海の難所の一つ。それが操船の巧みな海部の民を育て、豊後水軍を生んだ。

 日本神話の神武東征説話に登場する椎根津彦は有名だし、黒砂・真砂の海女姉 妹伝説、そして海峡の神・早吸日女は、いずれも神社が旧佐賀関町(大分市)にある。そして今は、「関アジ・関サバ」を追う漁民の心意気。

 「関」の名は、海の関門・関所に由来す る海上交通の要衝。それは近代、日本の国土防衛の前線となった。長らく無人島だった高島は明治維新の後、禄を失った武士たちを一時的に入植させたが、それを退去させ、1920(大正9)年から島と半島は要塞化された。「豊予要塞」の砲台、弾薬庫などの諸施設は現在、地中に、あるいは草に埋もれて、島のあちこちに眠っている。

島のあちこちには戦争遺跡が眠る。