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吉四六さん

写真/竹内康訓

庶民のヒーロー

 吉四六さんは大分人が愛する人物の一人。英雄・豪傑でも学者でも文化人でもない。にもかかわらず、吉四六を知らない大分の人はいないだろう。「天のぼり」「銭糞」など、祖父母や両親から「吉四六話」の一つや二つはきっと聞いているはず。
 あらためて説明の要はあるまいが、「吉四六話」は県の中、西、南部を中心として全県に分布する話である。伝説でも昔話でもお伽話でもない。かと言って民話とも断じがたい。民衆の中に根付き語り続けられた話で、その主人公が吉四六さん。
 彼は実在の人だという。今の臼杵市野津町で名字帯刀を許されていた広田吉右衛門がその人。地元の普現寺に墓と、1715(正徳5)年の位牌が残る。頓知の良い、奇言奇行の持ち主だったろうか。いわば彼の「言行録」が話の骨格、下敷きになったのではなかろうか。
 野津は野津市、野津院とも呼び、地方の中核となる交通の要地でもあった。そこで生まれた話が、豊後の各地に広がり、後世に新しい話がいろいろと付け加えられたようだ。
 恐らく最初は吉右衛門をモデルにした頓知話だっただろう。それに正反対の愚か者話、おどけ者話、あわて者話、ほら話、さらにはずる賢い話などが付加され、近代の作品もあって現在では200話以上に達する。共通するのは笑いだが、権威・権力に頓知で抵抗する姿勢が、庶民の共感を呼んだのだろう。
 県民オペラで舞台にも上がり、劇団が生まれ、定期口演があり、町づくりの「吉四六ランド」もある。焼酎や漬物の銘柄にもなり、すっかり大分ブランドだ。
 中津から県北地方に広がる吉吾話は吉四六の兄弟分だろうし、熊本には彦市話、兵庫の彦七話とも似通うところがある。蛇足ながら、吉四六さんはキリシタンだったという説もある。

祭りや定期口演など全県に定着。舞台や「吉四六ランド」、焼酎や漬物の銘柄にも...すっかり大分ブランド。