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大野川流域の摩崖仏は、溶結凝灰岩なくしては存在しない。約9万年前、阿蘇山の巨大噴火で大火砕流が噴出。九州の北半分は700度にも達する高温の火砕流に覆われた。長い時間をかけて火砕流は冷えて固まり、岩石の中では、柔らかく、彫りやすく、加工しやすい溶結凝灰岩となった。
菅生摩崖仏は溶結凝灰岩の岩壁に、千手観音、薬師如来、阿弥陀如来、十一面観音の坐像と毘沙門天立像が半立体的に彫られている。ふくよかな顔、柔らかく丸みを帯びた肩、一面に赤い色彩が残る。12世紀の平安時代末期、当時の豊後武士団の頭領・緒方三郎栄が造立にかかわったと伝わる。鎌倉時代へと至る戦乱の中で、現世に仏の姿を現すため、遠く都から仏師を呼んだのだろうか。
摩崖仏は瓦葺きの堂で覆われている。堂への途中、約100段の急な石段の傍らには、寄進で造られた坂道がある。今も、里人の祈りと 願いの場となっている。国重要文化財。

写真:山路康弘氏 提供